3月、4月のスケジュール表をなにげなく見返し、
ああ、3・11から二週間も体調を崩しっぱなしだったんだ、
とあらためて感慨にふけった。
あの頃、ある女友達と電話で話し、ストレスで体調を崩してる、と
言うと、せせら笑われた。
「へえ、なんで? あなた、被災したわけじゃないでしょ。
原発だってそんなに心配することないじゃない。私たち、もう歳なん
だから少々汚染されたもの食べたって平気だしさ。あなたもずいぶん
繊細なのねえ」
私は毎日、テレビで被災地の映像を見ていたし、原発事故はどう
考えても日本のこれからを左右すると思ったし、もっと身近なこと
で言えば、仕事や人に会う約束が次々とキャンセルになった。
被災地や原発と直接関わりがなくても、影響は大きかったし、
とても他人事と思える事態ではなかったのだ。
けれども、仕事を辞め、悠々自適で世事に興味を持たなくなった
彼女から見れば、私のストレスは大げさに見えたのだろう。
あれから春が過ぎ、夏も早や半ば過ぎ。
みんな人恋しい気分が去らないらしく、会いましょうという
お誘いは前より増えたように思う。
毎週のように人と会い、おいしいものを食べ、語り合い、笑いあっている。
仕事もまた、なんとなく忙しくなった。
だけどやっぱり、前と同じではいられない。
このところ原発関連の本は何冊も買っている。これからもさらに買うだろう
対象をできる限り理解しないと、安易に反対だ、賛成だなどと言えない。
仕事のあいまにせっせと読んでいるが、私はやはり物理的なことより
原発を取り巻く人間、原発と人の暮らしといった、自分だったらどうするか
ということを想像させてくれるものの方が頭に入りやすい。
そういう意味で言うと、いちばん最近読んだ佐野眞一さんの
「津波と原発」は読みやすかったし興味深かった。
津波に巻き込まれた人の人生、原発を喜んで受け入れた人達の事情などが、
ていねいに書き込まれている。
また、東電OL事件がここにきていきなり浮上してきたことは
「東電OL殺人事件」を書かれた佐野さんならずとも、不思議な気分にかられる。
東電にとっては、こんな時期に迷惑なだけだろうが、あの被害者女性が
いろんな意味合いを込め、「真実を見て!」と訴えているかのような符合ではないか。
原発にも、そこで働く人にも、東電OLにも、そうなった「理由」がある。
結果はもちろん重大だが、だからこそ私は「理由」を知らずにはいられない。
社会的なというより、ほとんど個人的な好奇心ではあるのだが。